当サイト UnderTheWaterCafeは、本日限りで閉鎖させて頂きます。
最近の掲示板の様子を見れば、こうなることは目に見えて分かっていた方は多くいらっしゃるのではないでしょうか。
閉鎖を決断するに至った理由と、いつ頃閉鎖を考え始め、なぜこの日を選んだのか。
これらについて詳しく説明したいと思います。そして、なぜ閉鎖という事態に至ったのか、考察をしたいと思います。
7年間も運営し続けたサイトの閉鎖ということで、私自身、胸に詰まった思いがたくさんあります。
閉鎖1週間前に閉鎖を決断し、この文章を書き始めたのですが、テスト期間ともかぶり、時間があまりないので、胸の内を整理せず思ったことをとりあえず全て書いてみることにしました。
ですので、長文乱文で読みにくいかとは思いますが、どうぞ最後まで目を通して頂けると幸いです。
また、一部の方の名前を名指しで載せておりますがご了承ください。
まず、閉鎖に至った理由から説明致します。
そうはいったものの、たくさんある理由の何から説明していけばいいか・・・
端的に言うとホームページの運営をするのが嫌になったからです。
では、なぜ嫌になったのか・・・
とりあえず、主な理由を全部書き出してみます。
・もはや誰もこのサイトのことを必要としていない
・むしろ閉鎖を望む声が多い
・起死回生を狙ったオフ会の中止
・時間的余裕の余地がこの先少ない
・小説を書くのが楽しくなくなった
・私自身がこのサイトをもう必要としていない
主な理由はこんなところです。
荒らしの発言はたいていもう削除してしまったので分からないかもしれませんが、1つめと2つめは閉鎖間近(5月~7月)の掲示板の様子を見ていて思ったことです。
閉鎖を望む声が出始めたのは本当にこのわずか2ヶ月間です。
しかも、その荒らしというのが、書き込みの際に使われる名前は違えど、IPアドレスを見る限り、ごく少数の人間によって行われていることもわかっています。
ですが、荒らしは無視しろという昔からのセオリーにしたがっているにもかかわらず、一向に止むことがないこと、また確実に荒らしに参加している人が増えている(IPアドレスを見たところ、
オフ会中止間際から、新たなIPアドレスの人が荒らしているようです)ことから、抵抗勢力の大きさは”既に弱りきっていた私の意志”では耐え切れないほどになっていました。
短期間の少人数とはいえ、連日のように書き込まれる荒らしの書き込みで、私の精神は随分疲れ果てました。
順番が前後しましたが、1つめの「誰もこのサイトを必要としていない」ということを感じたのは、この閉鎖間近が初めてではありません。今回は2回目です。1回目はちょうど2年前。
まだ私が大学入試の受験勉強をしている頃でした。当時、5周年記念ということで、このサイトが一時期アダルトサーバーに移転していました。そのときに、アダルトサーバーにおいておくのは
問題があるといって、一悶着ありました。
なぜもめたのかというと、アダルトサーバーにサイトがあるために、自宅からインターネットに接続できない
環境の人が、学校などから接続しようとしてブロックされてしまうのではないか、という話になったからです。
特に、常連だった「ゆきさん」をはじめとする”若い女性”の方が掲示板に来なくなる、ということが
議論の中心になりました。
このことから、私は、このサイトに来ている人は「ゆきさん」をはじめとする”若い女性”と交流することだけが
目的で、掲示板以外のコンテンツはどうでもいい、ひいてはこのサイトの存在自体や私自身の存在はどうでもいいと
思っているのではないかと思いました。これは当時のウィークリーコラムでも書きましたが、
「掲示板さえあればそれでよくて、他のコンテンツはどうなってもいい、でも掲示板だけは
なくなってはこまる」皆さんがそういう風に思っているのではないかと、私はヒシヒシと感じていました。
これもコラムに当時書いたことですが、当時や今回のように、直接的に、しかも必死になって掲示板を求める声が
聞こえてくるような事態ではなくても、平素から専らサイトに関する話は「掲示板、掲示板」で、
私がこのサイトのメインとしている小説など、他のコンテンツのことは稀にしか聞こえてきませんでした。
そのことから、普段から「掲示板以外のコンテンツや私のことはどうでもいいと思われているのでは?」という
私の疑いは常に心の奥底にあったのです。そして、当時の議論や今回の閉鎖でその疑いが心の表面に浮かび上がってきたのです。
このことをウィークリーコラムに書いた時、常連のジャージさんは「そんなことはない。自分は小説なんかも見ている」と
言ってくださいました。その時、私は嬉しく思ったのと、みんなこのサイトのことをどうでもいいと
思っている、という私の疑いが一時的に心の奥底に抑圧されました。
しかしながら、この閉鎖間際の騒動になって、再びその疑いは心の表面に戻ってきました。
そして、この騒動の発端も、やはり”掲示板に誰もこなくなった”ことでした。
さらに、私の疑いを確信させるかのような発言が荒らしからありました。
荒らしの正体はIPアドレスが分かっているのでこの際名指ししますが、それは「ゆきファン」氏の
「ゆきさんが来ないこのサイトに存在価値なし」という発言でした。
この言葉は深く私の心を傷つけました。なぜなら長い間、心の奥底で抱いていた疑いが、現実のものとなって私の前に突きつけれたからです。
確かに、騒動の最初は常連のWETRTさんやWAMαさん、ジャージさん、初めて書きこみをしてくれたてつやさんが励ましてくださいました。その言葉があったから、すぐに閉鎖はせず、ちょっと様子を見てみようという気にもなったのです。
ですが―別に常連のみなさんを責めているわけではないのですが―励ましの言葉はみんな一度きりでした。
それに声をかけてくださったのは上に名前を挙げた方だけでした。それに比べ荒らしは毎日のように書き込みがありました。
私が発言を消しても消しても、毎日のように積み重なる閉鎖を望む声。一方、一度きりしか聞こえてこなかった
閉鎖を反対する声。閉鎖を望む声が全く論理性のかけらもない荒らしであり、閉鎖を反対する声が本気でこのサイトの
ことを思って説得している発言であるということは、当然分かっています。ですが、数の多さで私は参ってしまったのです。
普通少人数の荒らしなら無視していればいずれいなくなるはずです。なのに毎日のように乱立する閉鎖を望む声。
その荒らしの姿勢には、本気でこのサイトを潰そうとする勢いが感じられました。それに対して、最初の一度きりしかなかった閉鎖を反対する声には、どことなく諦めも感じられたのです。
そういうわけで、私は、”本当に”このサイトを必要としている人は、もういないんじゃないかと思ったわけです。
次に、起死回生を狙ったオフ会の中止についてです。
オフ会は今年の1月に私が話を持ち出しました。
最初は予定通り順調に話が進み、参加者も10人程で賑わっていました。
ですが春頃から次第に話し合いは不活発になり、閉鎖間際の騒動時には参加辞退者が続出、同時にオフ会用のBBSにまで荒らしが乱立する事態に陥りました。
閉鎖間際の騒動の最初は、私自ら、オフ会をこのサイトの混乱した時期に決行するのはよくないのでは?
と中止の話を持ちかけましたが、「サイトの危機だからこそやるべき」「ここで中止するのは管理人として無責任」などの意見があり、中止はしない方向になりました。
しかしそうなったものの、その後の話し合いは完全に停滞。仕方がないので、私のほうでそれまでに出ている意見を勝手にまとめてタイムテーブルや予算を立てたのですが、そこから参加辞退者が続出し、辞退していない人もまったくの音信不通状態が続いていて、とてもオフ会が実行できる状況ではなかったので、
止む無く7月10日にオフ会は中止という決定に至りました。
今回のオフ会が起死回生を狙っていたというのもさることながら、それよりも閉鎖へ拍車をかけた要因は、オフ会用BBSにまで荒らしが連立したことです。まるで、癌が転移したかのように、拡大した荒らしによって、余計に私の精神は疲れ果ててしまったのです。
その次の時間的余裕の余地についてです。
これは、以前に掲示板で今年いっぱいは時間の余裕の余地があると書きました。
「来年は所属してるサークルで中心学年になりますし、再来年は大学院試験と卒論。大学院に入ってからは研究と就活で、そして就職したら・・・」とそのとき書きました。
実はその後気が変わりまして・・・私は今、公務員への就職を希望していて、本当は院に入ってからゆっくり
公務員試験の勉強しようと思っていたのですが、やっぱり院まで行くのが面倒になり、学部生のときに公務員試験を受けようと
最近思い始めました。皆さんご存知かと思いますが、公務員試験というのは常に狭き門といわれ、毎年、倍率の非常に高い
難しい試験なのです。一発合格を狙おうと思ったら、そうとう勉強しなければいけません。加えて、私は
サークルも忙しいのです。そこで、今月からもう公務員試験の勉強をぼちぼち始めることにしました。
するといよいよこのサイトのことなんて手が回りません。大学受験のときに、受験勉強の忙しさは既に
体験していますから、ほとんど更新できないことなど目に見えてわかっています。
また、これも今までに何回も言っていることですが、私がインターネット上で活動しているのは何もこのサイトだけで
はありません。むしろ、このサイトは2の次です。それに、インターネット上の活動以外にも、さっき言いましたように
大学のサークル、それからWET以外の趣味など、やりたいことはたくさんあります。優先順位をつけると、
どうしても、このサイトのことは後回しになってしまいます。学校の課題やバイト、今後始める公務員試験の受験勉強など
やらなければいけないこと、サークルやその他の趣味、活動などやりたいこと。そういったたくさんのことが
先行してしまい、このサイトのことは、それ以外のことの合間にできたほんのちょっとの時間しか当てられないのです。
また、これから新しく始めようと思っていることは公務員試験の受験勉強だけではありません。
バイトを、今やっているバイトは就労時間が少なくて収入が少ないので、来月、新しいバイトを増やそうと
考えています。それから、インターネットでの活動でも、新しいものを始めてみたいと思っています。
そういうわけで、やるべきこと、やりたいことが次々増えるため、そろそろ止めるものも必要になってきたわけです。
そうしたところで、止めてもいいと思えるもの。それがこのサイトだったのです。
次に5番目の小説についてです。
このサイトは一応、小説をメインとして謳って参りました。ですから、私の中では小説がこのサイトの要でした。
事実、このサイトにおける更新のほとんどは小説でした。しかし、お客様の皆様にとっては、このサイトの
要が小説ではなく掲示板であったことは、既にさんざん申し上げてきたとおりです。
このサイトが設立された当初の小説は小説とはとても呼べない非常に稚拙な文章でした。
そのときはむしろ、私も掲示板こそがこのサイトの要だと思っていました。
私がこのサイトを設立した目的なんかは後々、閉鎖という事態にこのサイトが向かった原因を考察するときに
述べるので、このことについてはここでは説明しません。
サイト設立当初の小説は、少しでもホームページらしくするために着飾った、子供の真似事に過ぎませんでした。
実際当時はまだ13歳。その小説の内容は、今思えば所謂中2病のような感じかもしれません。
13歳という多感な時期に形成される自分の内面世界の断片的な妄想を、加工せずにそのままかたっぱしから
吐き出したことによって生まれたのが当時の小説、いえただの文章の羅列だったように思います。
そのような、良くも悪くも”中学生らしい”妄想の羅列は中学生の間ずっと続きました。小説の技術面も
さほど上達することもなく、そのまま私は高校生になりました。しかし、ここで突然、私の小説の書き方の
コンセプトが変わりました。それまでは、シリーズ物を一話完結の単発として出していたのですが、
長編小説を書くようになりました(結局、どの作品も完結しないまま、今日のこの閉鎖を迎えてしまった
わけではありますが・・・)。それと同時に、体裁も、それまでの妄想を加工しないまま羅列した文章ではなく、
きちんとした小説らしい文体になりました。また登場人物も、それまでの小説では、中学のクラスの好きな
人の名前を使っていたのを、ランダムにひっぱりだしていた性・名をつけたものに変えました。
小説を書く姿勢を整えることで、書いているうちに文章表現力なども
上達していきました。何より、私自身、そうやって成長していく自分という存在を感じて、嬉しかったものです。
だから、一番小説を更新していた時期は、心の底から小説を書くのが楽しかったです。確かに、中学生だった頃と
比べて。小説の外見は整い、私の技術は上達しました。しかし、表面的なものは成長しても、実は内面は
変わっていなかったと思います。どういうことかというと、内面世界の妄想を吐き出していることには違いが
ないからです。違いは妄想を”小説”として加工しているかしていないかの違いに過ぎません。仕入れた生肉を、
ステーキなりすき焼きに調理して差し出しているか、生のまま差し出しているか、そういう違いです。
ここで一つ。私が大学で勉強している専門についてお話しましょう。実は私は心理学を専攻しています。
(既にここまでで、ちょこちょこ心理学の観点から書いた話もありますが・・・)
心理学の話に興味がない方はこの段落は飛ばして頂いてかまいません。それから、私はまだ2年生で、
専門的な勉強が始まったばかりなので、ここに書かれている心理学の理論の説明には不備があるかと思いますが、
見過ごしてください。
本題に入ります。皆さんはフロイトの防衛機制というものを知っていますか?フロイトによると、人間の心の構造は
欲求(彼は快楽原則と名付けました)を求める本能(エスと呼ばれています)と、
それをなだめる自我というものがあり、さらにこの自我とエスを調整する超自我が存在するというのです。
自我=理性というとわかりやすいかもしれません。しかし自我=理性というのは御幣があります。なぜなら、
この自我の機能というのは、単に欲求を抑えつけるのではなく、あくまで本能であるエスをなだめて人間を社会に
適応させることなのです。そして、欲求を求めることを断ち切ろうとすることで生じる葛藤を解消しようとする自我の
働きのことを防衛機制と呼びます。
話がWETサイトのことから心理学に逸れてしまいましたが、ここでこの防衛機制のことを私にとってのWET小説に
当てはめてみます。そもそも、なぜ防衛機制がWET小説に当てはまるかというと、WETができないことが
私の中で欲求不満になっていたからです。なぜなら当時は親と同居していたため、WETは滅多にできなかったし、
おまけに自分の部屋すらないような家だったので、WETのAVすら見れないという状況でした。
すると私の欲求不満は高まり、そこで先ほど説明した防衛機制が働きだします。
防衛機制には実に様々な種類があり、欲求不満に対する我々の行動や身体の反応は多種多様です。
その中で、私のWETに対する主な防衛機制は、「昇華」と「置き換え」というものに当たります。
特に「昇華」がとてもよく当てはまっています。「置き換え」というのは、欲求が阻止されるときに
要求水準を下げて満足するというものです。WETの場合、実践WETや、鑑賞WETという高次の欲求が満たされない
ために、WET小説という低次元の行為に置き換えているわけです。
「昇華」というのは、反社会的な欲求や感情を社会的に受けいられる方向へ置き換える、という、これも
一種の「置き換え」です。WETという一般社会では受け入れてもらいにくい世界を、小説という社会的に
受け入れて貰える媒体で表現しているのだから、まさに昇華です。実際、小説を書く、というのはあまり見たことは
ないのですが、小説を”読む”というのは、典型的な昇華の例として、臨床心理学のテキストなんかには載っています。
ちなみに、WET小説はここまでで何度も言っている通り、内面の妄想世界を吐き出して書かれているわけで、
”妄想”という行為が前提になっています。この”妄想”という行為も、防衛機制による行動の一つで、
”妄想”は「逃避」という防衛機制に分類されます。さらに蛇足ですが、WETの欲求不満を解消するため、
当然オナニーをしていました。臨床心理学の授業で貰った資料の例によりますと、オナニーは「退行」という
防衛機制に入るようです。「退行」というのは赤ちゃん返りなどの説明のされ方が一般的です。
以上、心理学の話に脱線してしまいましたが、とにかく。ここまでのことをまとめると、私がWET小説を
書いていたのは、今も昔も、実際にWETしたり、WETを鑑賞する機会がないために、自分の内面世界の妄想を
吐き出すことでその欲求不満を解消するためだったということです。ですので、ほぼ自己満足だった、ということは
認めざるを得ません。小説をサイトのメインにしているにもかかわらず、小説に関する感想などがほんのたまにしか
こなかったのでなおさらのこと、小説は自己満足になっていたと思います。それだけではありません。
小説の更新が一番活発だった高校2年の終わりは、”WET”小説を書くことというよりは、”小説”を書くことが
楽しいと感じていました。小説を書く力が波に乗りはじめていたからです。毎日、良い表現を書こう、
もっとたくさんの作品を書こう。そういう意欲が沸いてきたからこそ小説を書くことが楽しかったのです。
ここで、また心理学の話を持ってきましょう。今度は学習心理学の領域の話です。学習心理学が扱う
テーマの中に、学習の動機づけというものがあります。その中で、外的動機づけと内的動機づけという理論があります。
外的動機づけとは、報酬で釣って学習意欲を上げるという動機づけです。よく、テストで何点以上取ったら
ゲームソフトを買ってあげる、と小学生の子供に言う親がいますが、そういうのです。一方内的動機づけとは、
勉強すること自体が楽しくて、学習意欲があがるという動機づけのことを言います。私のWET小説の場合、
更新が一番活発だった時期になるまでは、小説を書けば欲求不満が和らぐ、サイトが充実する、という
外的動機づけによって書いていたわけです。しかし、更新が一番活発だった時期は、もっと小説をうまく書きたい、
自分の作品をもっと世界に送り出したい、そういった小説自体に対する内的動機づけが働き出したのです。
高校2年の終わりごろ、というごくわずかな時期だけ小説の更新が活発だったのは、こういうわけだったのです。
もし、一番更新が活発だった時期のように、小説を書くことが楽しいと今も思えていたなら閉鎖することは
なかったでしょう。実際、その一番活発だった時期には、たとえ誰も小説を読んでくれなくても、自己満足のままで
いいから一生小説を書きたいと思っていたものでした。それぐらい小説を書くことが好きだったのです。
しかしながら今はそうではない。そして閉鎖という事態に至ったのです。
小説が楽しくてあんなに活発だったのになぜ再び更新しなくなったのか。
それは時間がなくなってしまったことが大きな原因です。
活発だった時期のタイミングが悪かったのもあります。なぜなら、小説の波に乗り出したのは高2の終わり。
つまりそろそろ受験勉強を始めないといけない時期だったわけです。すると3年に入って更新頻度は落ち始めました。
加えて、5月頃には、先ほど説明した、インターネットでの別の活動のほうが波に乗り始めました。
別の活動と受験勉強という二つの大きなものが次第にこのサイトを更新するための時間、というよりかは
小説を書くための時間を蝕んでいきました。これは今も状況は同じようなものです。
その別の活動というのは皮肉なことに、受験勉強と完全に両立ができてしまい、WET小説のように
波が停滞することもなく、今もずっと波に乗っている状態なのです。
さらに受験勉強から解放されても、大学に入ればサークルやバイト、学校の課題などやるべきことは結局
たくさん舞い込んできます。加えて、結局また公務員試験のために受験勉強に時間を取られることになります。
話が逸れてしまいましたが、とにかく、せっかく波に乗っていたWET小説は受験勉強と別の活動によって、
高3の夏にはほとんど滞ってしまっていたわけです。しかも、ちょうどその時期は、サイトをアダルトサーバーに
移転してゴタゴタしていた時期でもあります。
そういうわけで、結局、また小説をほとんど書かない期間が続いたわけです。
そのせいで、せっかく身につけた小説の力は衰えてしまい、それに伴って小説に対する向上心も失せてしまいました。
さらに悪いことには、向上心は失せる一方で、小説を書こうという気が全く起きなくなってしまったのです。
あんなに小説を書くことが楽しいと思っていたのに、全く楽しくなくなってしまったのです。
更新が活発だった時期は、小説を書き始めると、頭の中に次々と文章が浮かんできたものでした。
しかし、今は、小説を書こうとしても頭が全く回転せず、ありきたりな表現しか浮かばず、
先の展開も全然思いつかなくなりました。
また話が脱線しますが、皆さんは「初音ミクの消失」という曲を知っていますか?
初音ミクはもちろん多くの方がご存じでしょう。
「初音ミクの消失」という曲は、その初音ミクを使って作曲されたオリジナルの楽曲のことです。
詳しいことはコチラをご覧ください。
私が初めてこの曲を知ったのは、ニコニコ動画で、ニコニコメドレーの最新作、「七色のニコニコ動画」で聞いた時です。
元ネタになっている曲を全部聞いていて、そのさなか、この「初音ミクの消失」という曲を聞きました。
その曲の中に、次のような歌詞がありました。
「今は歌さえも
体、蝕む行為に…
奇跡 願うたびに
独り 追い詰められる」
私が初めて「初音ミクの消失」を聞いたのは、「七色のニコニコ動画」が公開された6月頃で、まさに、
このサイトが閉鎖への一途を辿ろうとしていた時期でした。そんな折にこの曲を聴いた私は、
歌の中の初音ミクの歌うことが嫌になって苦しむ姿と、小説を書くことが嫌になって苦しむ自分の姿を
重ねてしまい、深く共感しました。前半部分、「今は歌さえも体、蝕む行為に…」というのは、
まさに「今は小説さえも体を蝕む行為に」なっている私と同じです。それもさることながら、後半部分、
「奇跡 願うたびに独り 追い詰められる」も「(再び小説が好きになれるという)奇跡 願うたびに
独り 追い詰められる」私と同じなのです。また、この曲の内容は、ボーカロイド「初音ミク」の持ち主が、
ボーカロイド「初音ミク」が要らなくなってパソコンの中から削除してしまおうとしている、という
場面を歌ったもののようです(飽くまで私が歌詞や動画を見て感じた一個人の解釈に過ぎません)。
”捨てられてしまった”初音ミクの存在というのが、これもまた”見捨てられてしまった”自分というものと
重なって余計にこの歌に共感してしまいました。その後も何度もこの曲を耳にしましたが、何度聞いても、この
部分の歌詞が耳に入ると胸が熱くなる思いです。
話がまた脱線してしまいましたが,今の私の小説に対する感情というのはそんなところなのです。
なぜこういう状況に陥ったのか。一つには先ほど言った,動機の低下です。
もう一つの理由として考えられる原因を先ほどのフロイトの防衛機制の話を用いて考察してみました。
先ほども述べた通り,私にとっての小説とはWETという欲求を満たせないことに対する葛藤を
やわらげるための「昇華」や「置き換え」の手段がWET小説だったわけです。
ところが,大学に入学して一人暮らしを始めるようになると,WETがいくらでもできる状況が
手に入ってしまったわけです。すると,一人暮らしを始めてから間もなくして,風呂やシャワーでの
簡単なWETはマンネリ化し始めました.WETそのものがマンネリ化し始めたのだから
小説などという低次なものを求める必要も当然なくなったわけです。WET小説を「昇華」や「置き換え」の
手段に使う必要がなくなったため,WET小説を書くことはもはや何の快楽も与えてくれなくなったのです。
人間は,欲求不満になると,このように防衛機制を働かせて低次の欲求で我慢したりすることも
あるわけなのですが,逆に欲求不満だったものが満たされると,今度は高次の欲求を求めるようになる
という生き物なのです.WET小説という低次な欲求どころか,風呂やシャワーでの簡単なWETという
中程度の欲求にまで飽きた私は,今までしたことがないような(例えば野外WET,ローションプレイなど)
WET,あるいはWETより高度な性的興奮を与える行為を求めるようになったわけです.
するともはやWET小説など書く気は全く起きなくなるわけです.また,WETのAVを見ることが
できるようになったのも大きな要因です.それまでは自分の頭の中の空想世界にしか浸ることでしか,
WETシーンの情景を見ることはできなかったのに,今では直接的に視覚映像としてWETシーンを
鑑賞することができるようになったのですから,小説などという一次元的なものでWETの世界を
描くのがなんとつまらないことか,ということにも気付いたのです.それまでは
文字の世界という一次元上の世界で高い興奮を得られることを目標にして活動を頑張っていたのに,
結局,映像のほうが優れているということを思い知ってしまったのです.
長くなりましたが以上がWET小説を書くのが楽しくなくなった理由です.
最後に,私自身がこのサイトを必要としていないということですが,これは後ほど述べる,
「なぜ閉鎖に至ったのか」という論点のところと関わってくるので後回しにしたいと思います.
ですので,先に,なぜこの日を選んで閉鎖を発表したかについて説明したいと思います.
当初の予定では,今年(2009年)の12月22日を閉鎖候補日として予定していました.
”候補”というのは,12月くらいまで様子を見て,もうダメだと判断したら,その日に
こういう形で閉鎖を発表する予定だったのです.22日という中途半端な日にしたのは,
12月22日がちょうどこのサイトの設立日(6月22日)から半年後だったからです.
12月22日を閉鎖候補日にしようと考えていたのは,閉鎖騒動が始まったばかりのゴールデンウィーク明の頃でした.
その時はまだ,巻き返せるだろうと,5月後半から様子を見るため更新頻度を上げていました.
しかし,荒らしはなかなかおさまらず,オフ会の方も話し合いが停滞したままでした.
そして6月中旬ごろ.いよいよオフ会の決行が危ぶまれてきた時,閉鎖候補日を一気に早めました.
設立記念日から半年後の12月22日から,その3か月前の9月22日にしようと考えました.
この時期にまで早めたのは,最初の方で述べた,新しく始めたいネット上での活動を,それぐらいの
時期から始めたいと考えていたからです.
その後,とうとうオフ会の中止が決定し,いよいよサイト崩壊寸前にまで荒らしが蔓延り始めました.
またその時期は,私が公務員試験の受験を考え始めた時期もでありました.新しいバイトをやろうと
検討しだしたのはまだ候補日が9月22日だった頃だったとは思いますが,バイトを増やすことで時間を
取られることの危惧はずっと考えていました.そして,無理やりにでも書いていたらまたかつてのように
もう一度波に乗ることができて,小説を書くのが楽しくなるだろうと思って(先ほどの初音ミクの歌詞を
引用すると「奇跡 信じて」)5月末からずっと書き続けていたのですが,結局小説を書くのは楽しいと
思うことはなく,むしろ日に日に小説を書くことが億劫になっていきました.オフ会用BBSの崩壊による
荒らしの拡大,小説に対する無力化,今後の時間の見通しの少なさ,この3つが相まって,
ついにこの日を閉鎖日にしようと決断しました.閉鎖を決意したのは,7月の3連休明けごろ.
閉鎖を8月1日に決めたのは,設立記念日と同じ”22日”という日付に拘ろうにも7月はもう間に合わなかったので,”22日”縛りは諦めて,きりのいい月始めに発表しようと決めたのです.
その結果が,閉鎖を決意した7月末から一番近い8月1日だったわけです.
大学生の私にとってはちょうど夏休みが始まる日なので,なおさらのこと節目の日として都合が
良かったわけです.
さて.ここまで延々長く閉鎖に至った私自身の心情を述べてきたわけですが,最後に.
なぜこのサイトがこういう最期を招くことになったのか.今度は私自身のことだけではなく,
このサイトに対する客観的な考察を述べたいと思います.
先ほど保留にしていた、閉鎖を決意した理由の6つ目「私自身がこのサイトをもう必要としていない」について
ここで説明するため、まずはこのサイトを設立した理由からお話したいと思います。
このサイトを設立したのは2002年の6月。私がまだ13歳の中学1年生の頃でした。
つい最近まで小学生だった人間がこのようなサイトを立ち上げたのです。成人した今になって思うと、
我ながらすごいことをやってのけたのだなと思いました。
なぜサイトを立てようと思ったか。それは、かなり衝動的な気持ちであったことを覚えています。
まだ13歳という年齢であったことからか、後先のことを何も考えませんでした。それなのに今日まで
このサイトが続いたのは支えてくださった皆さんがいたからだと思います。そう考えると、
支えてくれる人がいなくなったことで閉鎖してしまったということは、私の未熟さは13歳のときから何も
変わっていないということなのかもしれません。
・・・いちいち話がずれて申し訳ありません。なぜ、サイトを設立しようという衝動が私の中に生まれたのか。
それは、「WET」という世界があることを知ったのが嬉しかったからです。私がはじめて「WET」という
言葉を知ったのは、このサイトを設立した2002年6月、まさにその時期だったのです。
私は物心ついた頃から、頭の中で服を着たまま濡れることを妄想していました。13年間、
それが性癖、あるいはフェティズムと呼ばれる性的興奮を与える行為であるということにも気づかない
まま、単に自分の感覚はおかしいだけだ、と思いながらすごしていました。そして中1の6月。
家にパソコンは小4の冬からあったのですが、パソコンで服を着たまま濡れている画像を探そうという
手段を思いついたのはなぜか中1の6月だったのです。中1の6月。着衣水泳という言葉で検索すると、
服を着たまま濡れている画像が見えることがわかりました。数日間は着衣水泳と検索しては、
ヒットした小学校のホームページに入って、服を着たまま濡れている画像を堪能していました。
そのうちに、「着衣水泳」や「着衣泳」だけでは十分に服を着たまま濡れている画像が見つからないことに気づきました。
そこで、次に「着衣入浴」「着衣シャワー」など、よりWETらしい単語を入れましたが、それでも
ちょっとした日記や小説がほんのちょっとヒットするだけで(しかもおそらくWETサイトとは関係ないサイト)
画像は出てきませんでした。それで、ためしに「着衣」だけで検索してみました。すると。。。
かの有名な「着衣趣向」さんが上位にヒットしたのです。そこで生まれて初めて、私は「服を着たまま濡れることが
気持ちいい」という感覚は自分だけが持つ特異な感覚なのではなく、全世界に多くの人間が共通して持っていること、
服を着たまま濡れることは「WET」という性的興奮を与える行為であるということ、そして
世の中にはWETに関するサイトが存在する、ということを知ったのです。WETを子供の頃から好きな人間が、
この事実を知ることは、まるで世界の真理を知ったような境地だと言えるでしょう。多感な時期にそんな世界の真理を
知ってしまった私は、衝撃的な気分でした。また、13歳という時期は、自分と同じ特質を持つ人間と
同じ集団を形成したがる時期でもあります。そして、13歳当時。実はこのサイト以外にも2,3個サイトを
持っていました。2,3個という曖昧な表現なのは、このサイトが設立された2002年には、このサイト以外の
サイトも新たに1,2個作っていたため、どれをいつ作ったのかいまではもう記憶が薄いのです。
14歳になるまでに作ったサイトは、このサイトと、14歳までに閉鎖されたものも含めて5個ありました。
なぜ13歳にしてホームページの作り方を知っていたのか(それどころか一番初めにホームページを作ったのは
11歳の冬)についてはここでは伏せておきますが、とにかく、その時期は一番持っていたホームページが多かったので、
一種のホームページブームが私の中にあったわけです。だから、13歳という多感で、集団を求める時期に、
「WET」という新しい世界を見つけるという衝撃的体験をした私は、短絡的に、じゃあ自分もホームページを
作ろうという考えに陥ったわけです。今思えばなんと幼稚な動機でしょう。当時5つあったホームページのうち、
2つは中1の時に創立して中2の間には確実に閉鎖していたと思います。このサイトを除く残り2つのうち1つは、
最初に作ったのが小6で、そこから形を変えて今も継続中(実はこれが何度も言っているネット上での別の活動をしているサイト)
で、もう1つは一番初めに作ったホームページで、小学生の頃は頻繁に更新していたものの、その後更新停滞とリニューアルを
繰り返し、結局中3ごろで最終的に凍結し、サーバーから削除したかも記憶が曖昧なので、ひょっとしたら今も
形だけ残っているかもしれません。このように、5つあったホームページの半分は短命だったのです。
それは当然。5つも管理できるわけがありませんし、中2の間に閉鎖された中1のときに作ったホームページは、
このサイトと同様。短絡的な考えから衝動的に作られたサイトに過ぎなかったため短命だったのです。
そんな中、このサイトだけは衝動的に作られたにもかかわらず長命です。先ほど挙げた5つのサイトのうち、
私のネット上の別の活動に関するサイトは今もあるといいました。ですが”形を変えて”です。
つまりサーバーの移転やこのサイト以上の大規模なリニューアル、活動形態の変更などを行ったうえでの
今の形があるわけです。つまり、そのサイトで扱っている”活動”の経歴が小6から今まで続いているのであって、
サイトそのものが最初からずっと同じ形であったわけではありません。そう考えると、私が今までに作った
ホームページの中でこのサイトが一番長生きだったのです。なぜここまで長生きして、そしてなぜ
そんな長寿だったサイトが崩壊したのか。それを考察するのがこの項目なんですが、まだその核心には触れず、
このサイトを設立した目的を述べます。もとはといえば、閉鎖を決意した理由の6つ目
「私自身がこのサイトをもう必要としていない」を説明するために、サイトを設立した動機を記述していたら、
いつのまにか話がこんなに脱線していたのです。
動機はこれで十分説明しました。否、あまり関係ない話を書いただけでひょっとしたらうまく伝わっていない
気もしますが、まぁよしとしましょう。さて。先ほど、サイトを設立しようという衝動が生まれたのは、
13歳という年齢における集団を求める特性と、その多感な時期に新しい世界を知ってしまったという衝撃から
でした。集団を求める特性を持っていたために、サイト設立当初このサイトにあったものは、
自分の体験談と掲示板、プロフィール。確かこれぐらいしかなかったはずです。
プロフィールはこういうサイトであることから、今も当時もほとんどの事柄を伏せたものでした。
体験談は物心ついたころから頭の中ではWETを妄想していたこと、初めて服を濡らしたのは小4のころで、
その後はどういうことをしていたか・・・という経歴を書いたものでした。そして体験談の最後に、
「老若男女、特に若い女性の方からの体験談を募集しています」と書きました。トップページにも確か
書いていた気がします。冷静に考えてみれば、よくまぁこんな下心丸出しのことを恥ずかしげもなく書けたものだと
思います。こういった行為からも、当時の短絡的な性格が痛いほどわかります。なぜそういう書き込みをしたのか。
当然そういう下心があったわけですが、一番の理由はセーラー服を着たまま濡れる女性の話が聞きたかったからです。
なぜなら、今でこそセーラー服はいくらでも購入でき、好きなだけ着て、思う存分濡らせるわけですが、
当時は中学生に入ったばかり。セーラー服というものは幻想のような存在でした。だから、こういうサイトを通して、
生の女性の体験談が聞きたかったわけです。もちろん、「若い女性の方の体験談を募集しています」という
書き込みの中には、「自分が男でセーラー服などで濡れることとは無縁だから、そういう話が聞きたいのです」
という旨の文も添えていました。
サイトを設立して2,3日以内には初めての書き込みがあった気がします。記念すべき一番初めの書き込みは
今でも覚えています。名前は老人で、年齢は70歳以上、性別は覚えていませんが男性か不明かのどちらか。
内容は「13歳か?まぁ、がんばってくれ」という冷やかしめいたものでした。
冷やかしなのも承知で、70歳以上というのもほとんど嘘だろうとは思いつつも、老人氏を半信半疑で信じた私は
「はじめまして。書き込みありがとうございます。70歳でWETですか?」という感じの返事を書いたのを
今でも覚えています。その次に書き込みがあったのが、1~3年前に久しぶりに来てくださった「生徒会長」さんという
方でした。当時の名前は覚えていませんが・・・(しかも”1~3”年というかなり曖昧な記憶ですし・・・)
その後もだんだん人が訪れるようになりました。そのうちに、今では大常連のジャージさんと出会ったり、
そしてゆきさんにも出会いました。ゆきさんの前にも女性の方が訪れていたような気がするようなしないような・・・
という感じなのですが、少なくとも一番最初に女性の方で常連になったのはゆきさんでした。
それからWETRTさん、WAMαさん、ハワードさんなどの常連の方との出会いもあったわけです。
今も昔も、このサイトといえば、この5人さんが私の頭の中には浮かんできます。それぐらい、
この5人の方は私にとって非常にかけがえのない方々でした。この7年間、その5人の方とは
たくさん体験談や世間話を交わしました。特に体験談ですね。山のような体験談を聞かせて頂きました。
この5人の方々がいらっしゃったからこそ、掲示板はあそこまでにぎわっていたのだと思います。
そういうわけで、「小説を書くのが楽しくなくなった」の項目のところでも一度述べている通り、
サイト設立当初はむしろ、私自身がこのサイトの主体は掲示板であると考えていたのです。
そして事実。そういった常連の方々のおかげで、掲示板は発展し、常連以外の方もたくさん書き込みを
してくださるようになりました。中学生当時の小説は散々言っている通り、妄想を書き連ねただけの
稚拙な文章でした。当然、自分の文章に自信があったわけでもないので、最初は本当にただの飾り程度にしか
思っていませんでした。このサイトの名前が最初、「WET FC!」だったのが「WAM Library」に変わったことから、
ようやく掲示板と小説を2台巨頭にしようと考え出しました。また話がずれますが、ここで昔のサイト名が
出たので― 一番最初の「WET FC!」という名前を見ても、その適当さがわかると思います。ここからも
このサイトの設立が短絡的であったことが伺えます―
以上がサイト設立に纏わる動機と目的でした。
サイトの設立から繁栄の歴史はこれでだいたいわかったと思います。
いよいよ最後に、なぜ繁栄は起きてそして崩壊したのか。私が思ったことを述べます。
繁栄した理由については以下の要因があったからだと考えています。
・当時は純粋に私が交流を主体とすることを求めていた
・老若男女問わず、ということを明記していた
・管理人が若かった(子供だった)
逆に、繁栄が崩壊したのは単純にこれらが失われた+αだと考えています。
1つめ2つめは、先ほどのサイト設立の話で十分話したつもりなのでここではもう詳しくは言いません。
3つ目についてですが、先ほどサイト設立にまつわる話で説明した通り、このサイトは幼稚で
短絡的、衝動的な動機で作られたにも関わらず、長生きしていたわけです。他の同じような動機で
作られたサイトは短命だったにも関わらず。このサイトの長寿の秘訣は、逆に、幼稚だったからこそだと
思いました。このようなフェチを扱っているサイトを13歳の子供が設立するなんて前代未聞です。
そのような話題性が注目を集める要因となり、さらに子供が管理しているという緩さが
入りにくいフェチサイトの敷居を下げたのだと思います。その結果、たくさんの人が掲示板に
来るようになって繁栄したと考えられます。
そして肝心の閉鎖への経路です。
まず上記3つが失われたということですが・・・
まず一つ目の「当時は純粋に私が交流を主体とすることを求めていた」について。
最初は私も掲示板だけを主体と考えていたけれど、小説を多く書くうちに、
小説も一緒に主体しようという考えに至ったわけです。
そこまでなら良かったわけです。ここでとまっていればこういう事態はひょっとしたら避けられたかもしれません(
もちろん他の要因もあっての閉鎖なのだから飽くまで可能性ですが)
掲示板と小説の二大主体という理念自体はそのまま継続していました。問題は、余計な理念が私の中に生まれたからです。
それが前半で説明した防衛機制です。前半で、今私は大学で心理学を勉強していると書きましたが、フロイトの防衛機制の
ことは高校生の頃から既に知っていました。なので、WET小説をWETの欲求不満に対する防衛機制の手段として
書いていたという自覚は実は当時から既にあったのです。このような余計な考えが私の中に生まれてしまったために、
このサイトは、WET小説という私の欲求不満を解消するための自己満足を公開するための一種の道具と化してしま
ったわけです。このような自サイトの自己満足化、道具化という現象が、管理人である私とお客様の皆さんとの
間の溝を作る要因の一つになってしまったと思います。
2つ目の「老若男女問わず、ということを明記していた」ですが、これはアダルトサーバー騒動で一気に
崩れ去りました。アダルトサーバー騒動に関係する閉鎖の要因は他にもあるので、これは後回しにして、
先に「管理人が若かった(子供だった)」ということについて説明します。
これも、アダルトサーバー騒動に関連するのですが・・・そのときに出たあるメッセージが、この
「管理人が若かった(子供だった)」という要因がいかにこのサイトを支えていたかを象徴していました。
そのメッセージは「当時は白河さんが子供だったからこのサイトは魅力があった。でも、白河さんが大人になった今
このサイトは面白くない」という感じのものでした。このメッセージを言ったのはまったくの通りすがりの人でした。
しかしこのメッセージは私の心に重くのしかかりました。しかしまぁ皮肉なものです。本来ならこういった
性的興奮を目的とするサイトは大人こそが管理するべきなのに、子供が管理したほうが魅力があって、
いざ大人になったら見放されるなんて。いまだに私は、このメッセージを言った人の真意が良くわかりません。
そんなに子供だった私にはカリスマがあったのでしょうか?なぜ歳をとったらそのカリスマ性は失われてしまったの
でしょう・・・。それを理解することができなかったのがサイト崩壊の原因だったのかもしれません。
確かに、一般的に大人になれば精神的に失うものはたくさんあるといわれています。子供は誰でもピーターパンに
憧れるものとは、よく言ったものです。結局私も例に漏れず、悪い意味で「大人」になってしまったという
ことなのかもしれません。それから、私も他の皆さんも歳をとって忙しくなったというのも大きな原因だと思います。
掲示板の常連の方や、新しく書き込みをしてくれる方の平均年齢が私の加齢と共に上がっていったことは
紛れもない事実。設立当初は私は13歳でゆきさんは14歳、ジャージさんやハワードさんはまだ高校生でした。
それに新しく参加する方も多くは中学生、高校生でした。しかし時は嫌でも流れます。するとみんな忙しくなって、
それほど頻繁に書き込みができなくなるわけです。諸行無常とはまさにこのこと。このサイト崩壊の原因のひとつは
時の流れだと思います。どんな繁栄も、必ず滅んでしまうという世界の理を痛感しました。
さて。先ほど後回しにした「老若男女問わず、ということを明記していた」について説明するのと同時に、
”+α”の部分の要因も説明したいと思います。繁栄の要因だったものが失われるのと同時に、
閉鎖へ拍車をかけるさらなる要因があったからこのサイトは崩壊したのだと考えました。
その+αの要因とは「管理人と皆さんの間の亀裂」だと思います。これらの要因については、アダルトサーバー騒動から
説明が付きます。当然、アダルトサーバー移転なのですから、「老若男女問わず」という理念は崩壊してしまいます。
ではなぜそれを覚悟でアダルトサーバーに移転したのか。それは私の中にWET=フェチズムだという意識が
強くあったからです。また、アダルトサーバーに移転したのは私が18歳のときで、アダルトな領域に
挑戦したい(主に小説の面で)という願望もあったからです。実は、本当はサイト設立当初から、
このサイトはサーバーの「アダルトカテゴリ」として登録しようと思っていました。なぜそうしなかったのかは、
純粋に年齢が13歳だったからか、当時のFC2WEBのアダルトカテゴリが有料だったか、のどちらかだった
はずなんですが、どっちだったかは記憶が定かではありません。だから私の中では18歳になったことで、
このサイトをあるべき場所に戻したいという意識があったわけです。そこが私と他の方のズレだったわけです。
しかしよく考えてみてください。私はサイト設立当初からこのサイトはアダルトカテゴリにあるべきだと
思っていたわけです。そうです。サイト設立当初から、この閉鎖に至るプロセスは実は始まっていたのです。
実際、私とお客様の皆さんとの価値観のズレは最初の頃から感じていました。最初に感じたのは、
「100の質問」のコンテンツを作ったときです。WETに関する100の質問の中に、
「あなたはWETのことをエッチな行為だと思いますか?」という質問と「WET以外に好きなエッチのジャンルは
ありますか?」という質問があったわけです。しかし、100の質問に答えてくださった常連の方々の回答は
満場一致で「WETはエッチなことじゃない」というものでした。このサイトが順調にいっていたと見えていた、
一番繁栄していた時期ですら、実は奥底には価値観のズレが生じていたのです。そして、その価値観のズレが
顕在化し、管理人と常連の皆様との亀裂が入り始めたのが、あのアダルトサーバー騒動だったわけです。
そしてこの亀裂が、もっとも大きな閉鎖へ向かう要因だったと思っています。加えて、小説のところでもお話したとおり、
私がこのサイトを一種の道具化してしまったことがさらに亀裂の拡大に拍車をかけていたと考えられます。
そのことがはっきり現れているのは、トップページのアフィリエイトです。欲にしたがって生きるという
自己満足なサイト管理の仕方をしてしまったために、自分の利益を求めて他の方の気持ちを考えずに、
独りで暴走した行動に走ってしまったわけです。
長々と説明してきましたがこれが閉鎖の要因です。
このサイトは今までにも何度か閉鎖の危機がありました。1回目の危機は実は、まだ設立して1年も経ってない
2002年の秋か冬ごろにあったのです。掲示板のパスが何者かに偶然ばれてしまい、のっとられるという
事件がありました。完全に掲示板がのっとられてしまうという非常事態でしたが、新しい掲示板を立てることで
何とかお客さんも戻ってきて閉鎖の危機は免れました。閉鎖の危機とまではいかなくても、長期間、
更新と掲示板へのレスポンスを怠ることは過去にもありました。特に、当時はお客さんの書き込みの量のほうが
そうとう多かったので、よけいに私のレスポンスの怠りようが顕著に見えました。にもかかわらず、常連の方々は
私のことを見捨てないでくださいました。それどころか、私が何か病気になってるのではないか、とか心配まで
してくださったのです。一番心配をかけたのは中2の終わりでした。時期が時期なので、私は受験生だと一瞬
思われることもありました。このような閉鎖の危機があったにもかかわらず、そのときは存続することができたのは、
一重に皆様が支えてくださったからです。これは紛れもない事実です。事実、過去に管理していた5個のサイトの中で、
1年ももたなかったものは、人が来なくなったからです。当時はまだズレが顕在化してなかったから、
そうなったわけです。ですがアダルトサーバー騒動以降はそうも行かなくなったわけです。確かに、先ほど言ったとおり
みんな忙しいというのもありますが、やはり一番の理由はズレが顕在化してしまったせいでしょう。それで、
もう私は見放されてしまったのだと・・・全ては私の他人を観ていないという独りよがりな管理体制の甘さのせいだと
思っています。そう思うと、7年もこのサイトが続いたのは奇跡かもしれません。
さて。ここまで非常にダラダラと長く、閉鎖を思い立った理由、閉鎖の発表日を今日に決めた理由、
閉鎖の要因を説明してきましたが、一つだけ保留にしていた部分があります。それは閉鎖を決断した理由の、
「私自身がこのサイトをもう必要としていない」です。これはこれまでの説明と被る内容も含まれています。
一番大きいのはWET小説のことです。WET小説が私の中で欲求不満を和らげる防衛機制の手段でなくなった今、
それを載せるために道具化していたこのサイトはもう必要でなくなったということです。そしてもう一つは、
私自身も他の皆さんと同様、掲示板の意味がなくなったからこのサイトは必要と感じているからです。
皆さんとの違いは小説のことも視野に入れているか入れてないかの違いで、実は根本的には同じ理由で
閉鎖を望んでいたということになります。何度も言っていますが、設立当初は私もこのサイトを掲示板での交流を目的
にして設立したわけです。そして、小説と掲示板を二大柱にするという理念が生まれてからも、小説に対する
意識レベルののウェイトが高くなっただけで、掲示板に対する意識レベルの絶対数は設立当初から変わっていません。
事実、私もゆきさんをはじめ女性の方の体験談を見るのがとても楽しかったと感じていました。
アダルトサーバー騒動など、皆さんの「掲示板がなくなったらこのサイトは終わり」という意見に対して
悲しさを感じたのは、単に自分やサイトそのものの存在価値が認められていないということに対する悲しさであって、
私自身もこの掲示板が大きな価値を持っていたことは感じていました。つまり、小説を欲求不満を解消する
手段だという理念が生まれてからも、掲示板での交流という理論は消えたわけではないのです。
だから、掲示板がきちんと機能を果たせなくなったとき、私もこのサイトはもう自分にとって必要ないと
感じたわけです。
とてもとても長くなりましたがこれで説明すべきことは全てしたつもりです。冒頭でも言ったとおり、
自分自身、まだ気持ちの整理ができていないので、文章の内容も説明も整理がされておらず、非常に
読みにくかったことだろうと思います。自分自信も自分でいったい何を言いたいのかよくわからない部分も
いくつかありました。
最後の最後に、常連の方々やその他の皆様へのメッセージと、このサイトが辿った変遷を載せておきます。
ジャージさん>
私が中2の頃、電話でお話したことが何度かありましたね。覚えていらっしゃいますか?
今日現在のところ、後にも先にも、インターネットで知り合った方と電話でお話したのはジャージさんただ一人でした。
当時私はまだケータイも持っていなくて、親の留守中に家の電話でお話していました。あの時はいつ親が
帰ってくるかわからないという不安と、顔も見たことがない人と電話でお話するという緊張の中、ドキドキしながら
電話していたものです。今ならケータイも持っていて、おまけに一人暮らしで親のことも気にせず自由になったので
機会があればまたお電話してみたいものですね。
ハワードさん>
小説をいつもいつもありがとうございました。私の小説活動がハワードさんの小説活動を始めるきっかけになることが
できて嬉しく重っています。それと同時に、このサイトをなくしてしまったことで、ハワードさんの居場所を
奪ってしまったことを心苦しく思います。7周年記念作品も受け取らないままの閉鎖となってしまい、非常に
申し訳ない気持ちでいっぱいです。どうか、このサイトがなくなっても、私のことは御気になさらず、
ご自分の活動を続けてください。陰ながら応援しています。
WETRTさん、WAMαさん>
幼稚なこのサイトが存続したのは、良い意味で大人だったあなた方二人がいらっしゃったからだと思います。
お二人はこのサイトの保護者的な存在でした。もし、私もあなた達のような”良い”大人になっていたら、
このサイトはこういう末路を辿ることはなかっただろうと思います。お二人の器の大きさにいつも助けられて
いました。本当にありがとうございます。
それからお二人とも、このサイトをきっかけにして御自分のホームページをお持ちになりました。
ハワードさん同様、このサイトが他の人の新しい活動の起爆剤になったことを、私は非常に嬉しく思っています。
そしてやはり、そういう意味を持つこのサイトを自らの手でつぶしてしまったことは申し訳なく思っております。
お二人なら、きっとこのサイト以上の素晴らしいWETサイトを作り上げられると、いえ、既にこのサイトを
超える素晴らしいサイトを持っていらっしゃいます。この先もどうか頑張ってください。
ゆきさん>
やはりこのサイトで一番影響が大きかったのはゆきさん。あなたの存在だと思います。あなたがいたから
このサイトは繁栄して、いなくなったから崩壊したというのは、事実でしょう。そう思うと、あなたは
このサイトにとって運命の女神様のような存在だったと言えます。それから1歳違いで、このサイトの常連の
方の中では一番年が近く親近感を持って接することができました。ゆきさんの活発的な体験談を読んで
いつも元気づけられていました。たくさんの思い出を、本当にありがとうございました。おそらくもう
短大を卒業されている頃だと思いますが、幸せな新生活を送っていることを願っています。
以上5人さまへ。
このサイトの掲示板、から連想されるのはいつもこの5人の皆様でした。この7年間、私の生活の中には、
いつもこの5人の方がいらっしゃった感じです。結局、顔も見たことがないまま終わってしまいましたが、
あなた方は私の大切な仲間です。あなた方がいたからこの7年間は充実していたと思いますし、
あなた方との出会いは人生の中で重要な意味があったとすら感じています。もう会うこともないかと
思うとさびしい限りです。しかし、あなた方と体験談を交し合ったこと、一生忘れません。
これから私も含め、それぞれの道を歩んでいくことだろうと思いますが、皆さん一人一人が幸せな人生を
歩めることを願っています。どうか皆さんの今後の人生にも楽しいWETがありますように・・・。
小説を投稿してくださった方へ。
1度だけだった人も、たくさん送ってくださった方も。私の中では、小説を送ってくださった作家さん
お一人お一人がこのサイトのMVPだと思っています。ありがとうございました。この言葉に尽きます。
皆様からお寄せ頂いた小説は、CD-ROMに永久保存して大切に保管したいと思います。
相互リンクして頂いた方へ。
このような拙いホームページと相互リンクを結んで頂き真にありがとうございました。特に、相互リンクして
頂いたほとんどのサイトさんが大手サイト様で、非常に誇らしかったです。8月1日を持って、
また一つWETサイトは消滅してしまいますが、果て逝く存在のことはどうか御気になさらず、
それぞれの活動を頑張ってください。
このサイトの変遷
2002年6月22日:サイト設立。当初のサイト名は「WET FC!」、管理人名はライム
2003年6月22日:サイト設立1周年記念にサイト名を「WAM Library」に変更
2005年 :来客数10万ヒット。小説の体制を変え始める。
2006年6月22日:サイト設立4周年記念にサイト名を「Under The Water Cafe」に変更
同時にハンドルネームを「白河リュウエイ」に変更
2007年1月 :ウィークリーコラム開始
2007年6月22日:サイト設立5周年記念にアダルトサーバーに移転。
2008年6月22日:サイト設立6周年記念にケータイ用サイト設立
2009年8月 1日:「Under The Water Cafe」閉鎖発表
私自身の変化
2002年 :中学に入学
2005年 :高校に進学
2007年某月:18歳になる
2008年2月:受験旅行で初めてのセーラー服WET
4月:大学進学。一人暮らしを始めて毎日のようにWETをする
5月:バイトを始める。
8月:初めてのプールWET
9月:初めてのパイ投げ
2009年某月:20歳になる
6月:初めての本格的雨WET。その後も今年の異常な梅雨の長さに助けられて
多数回雨WETをする
8月:公務員試験の勉強を始める
初のローションプレイ(予定)
9月:新しいバイトを増やす(予定)
新しい活動を始める(予定)
終わりに。
今後、このサイトに残すものですが、このトップページはいつまで残すかはまだ決めていません。
少なくとも2,3年の間は置いておこうと思います。理由は、このサイトに長い間きていなかった人が、
不意にたまたま久しぶりに来たときに、きちんと事の経緯を知って貰うためです。
それから、コンテンツについては掲示板の過去ログについて、現在過去ログ倉庫にある分だけそのまま
残しておきます。そのほかのコンテンツは全て削除します。ケータイ用のページも全部ファイルを削除します。
そして。。。ここで私は自分の言いたいことを言いたい放題言ってきて、皆さんもおそらく何かおっしゃりたいことが
あるかと思います。そこで、私へコンタクトを取る方法ですが・・・
掲示板は荒らしが今まで以上に蔓延することは目に見えてわかっています。メールはスパムメールが多すぎて
パンク寸前だし、スパムメールに埋もれて皆様のメールを誤って削除してしまうかもしれません。
ブログのコメントも、アダルトな広告が多く炎上も目に見えています。
このように、メッセージを送る媒体全ての機能に欠陥があるので、仕方がないので時期をずらしてこれらを
公開することにします。
まず、今日から9月いっぱいまでお2ヶ月間限定でブログ(ウィークリーコラム)を残しておきます。
今日、ブログに最期の記事を書きますのでそこにコメントを書いてください。
10月に入ったらブログは削除します。10月から今年いっぱいの間は次に掲示板を公開します。
10月までは掲示板へのリンクを外して、10月になったらリンクを復活させます。
リンクを外すだけなので、URLを知っている方は10月になるまでに掲示板に書き込みをしてくださっても
かまいません。2010年になったら掲示板は削除します。メールはかつての閉鎖候補日だった9月22日~12月22日の
3ヶ月間アドレスを公開します。これもアドレスをのけるだけなので、アドレスを知っている方はメールを
送ることができますが、前述通りスパムメールが多いので、メッセージを見つけられないかもしれません。
掲示板やブログのコメントには、質問でない限り返答はしないつもりですが、メールに限っては、
返す言葉がなくても、「読みました。ありがとうございます」程度の、読了の旨を示すメールだけは
送るつもりですので、そのような返事がない場合は、お手数ですが再度送りなおしてくださいますようよろしく
お願いします。メールアドレスは12月22日を過ぎたら削除します。2010年に掲示板を削除したら、それ以降、
白河リュウエイはWETサイト界から完全にフェードアウトしたいと思います。
以上、長文乱文失礼致しました。
2009年、8月1日。Under The Water Cafe管理者 白河リュウエイ
過去ログ倉庫
私へのメッセージは掲示板に書き込むかメールを送ってください。
UnderTheWaterCafe WeeklyColumn
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